苦い文学

ラ抜きの研究

「ら抜き言葉」というのは、可能の「見られる(つまり、見ることができる)」「来られる(つまり、来ることができる)」などを「見れる」「来れる」のように「ら」を抜いて言うことを指す。

これはしばしば「正しくない日本語」とされるが、現在では広く用いられていて、テレビのバラエティ番組などでも「ら抜き」のほうが普通だ(そして、テロップでは「ら」が復元されるのも普通だ)。

私はかねてからこの「ら抜き言葉」に関心があり、調査・研究を重ねてきた。具体的なテーマは「抜かれた「ら」はどこに行ってしまったのか」というものだ。

私は日本のどこかに、抜かれた「ら」たちが集積する場所があるのではないかと考え、羅臼、浦安、島原、伊良部島など「ら」のつく土地を候補地としてくまなく踏査したが、そのような「らの墓場」は見つからなかった。

私の研究は行き詰まったかに見えた。だが、さらなる研究が突破口を開けたのだった。「ら抜き言葉」が生まれたのは100年以上前だというが、これが格段に広まったのはここ数十年のことである。そして、この急な拡大の原因となった出来事が、1978年に起きていたのだ。

サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」の発売である。

すべてのラはこの曲に吸収されていたのだ! 今でも、日本中のカラオケで!

この胸騒ぎのする研究をすぐにでも学会で発表したいほどに、ちょっと待って、まだはやい。いずれお目にかかれてと心なしに思う次第だ。