長崎についた日の午後は、軍艦島クルーズに参加した。
赤瀬川原平の『二笑亭綺譚』のような奇怪な廃虚が立ち並ぶ孤島という勝手なイメージを持っていたのだが、実際は、普通の人々がごくごく当たり前の生活を送っていた島であった。
軍艦島は、日本最古の鉄筋コンクリートのアパートを含む高層建築で覆われていて、それが海上から見ると、軍艦に見えることから、その名がついた。
海底炭鉱で働く人々とその家族が島の住人で、一時は、5000人以上の人々が暮らし、当時の東京よりも人口密度が高かったという。
炭鉱の仕事はつらくもあり、危険でもある。また、たびたび台風や高波による災害に見舞われた。島に上陸した時、ガイドの人が「最近、波に破壊されたのです」と巨大なコンクリートの塊を指した。防波堤の残骸だった。そうした厳しい環境でも、これだけ人が集まったのは、当時としては島での暮らしが良かったからなのかもしれない。こぎれいな室内でテレビを囲む住人の白黒写真も展示されていた。
しかし、今の目から見るととうていそうは思えない。
クルーズ船で、島を一周回った時、ガイドの人が、ある6階建ての集合住宅を示した。
「2階のところに大きな穴があるでしょう。あそこにはベルトコンベアーがあって、島の反対側からボタを運んでこっち側の海に捨てていたのです。24時間動き続けていて、止まるのも年に1回、4月のお祭りの1日だけだったそうです。そういう中で、島の人々は暮らしていたということです」
小さい島にぎゅうぎゅうに押し込まれ、職場ときたら地下何百メートルの海の底だ。しかも、よっぴいて騒音が鳴り続けているときた。
こんなことができるのはよっぽどのサディストだけだ。炭鉱の所有は三菱財閥で、ここから掘り出された石炭が日本の近代化、戦争、そして高度成長期という日本でもっともサディスティックな時代を裏から支えた。そんなこともあり、近年、世界サディスティック遺産に認定されたという。
長崎にはもうひとつサディスティックな施設がある。それが明日私が行く予定の大村入国管理センターだ。国家というもののサディスト精神を知るにはもってこいの施設だが、残念ながら、遺産としての認定はまだのもようだ。




いっそのこと、入管の収容施設もここに移したらどうだろうか……