苦い文学

老婆の霊

少年のころ、いわゆる心霊スポットというところに肝試しに行ったことがある。そこは、枯れが辻と呼ばれる、鬱蒼とした森に囲まれた不気味な場所だった。大きな不格好な石があって、私たちは、そこにお供え物の痕跡があったのを懐中電灯で確認した。

枯れが辻の由来は凄惨なものだ。江戸の昔、そこで一人の老婆が罪なく殺されたのだ。ゆえなき讒訴によるものとも、物取りによるものともいわれているが、いずれにせよ、怨恨を抱いて死んだ老婆は、霊となって現れるようになった。

そして、怪談は当時の私たちにまで語り継がれ、ある夏の真夜中、私たちをその恐ろしい場所へと向かわせたのだった。

私たちは誰も恐れていなかったように思う。私たちにとっては遊びに過ぎなかったのだ。私たちは例の巨石の前にやってくると、笑いながら、手で石の表面をタッチした。それがゴールの印だった。だがそのとき、私たちは石の上に何かがいるのに気がついた。とっさに懐中電灯が向けられた。それがいた。

それからどのようにして人のいる世界に戻ったかは覚えていない。私たちは叫び、走り、気づけば煌々と輝くコンビニの前にいた。たむろするヤンキーたちがタバコの煙を吐き出していた。

あのとき、私たちは間違いなく老婆を見たのだと思った。だが、五〇なかばを過ぎた今、あの時の鮮明な映像が脳裏を過ぎるたびに、私は違うふうに捉えている。今ならたぶん年下だな、と。