チュニジアを含む北アフリカは、かつてはベルベル語を話すベルベル人の暮らす地だった。現在のチュニジアでは、ベルベル語を話す人は、アルジェリアやモロッコに比べると非常に少数だが、「自分の先祖はベルベルだ」とか、「この村はベルベルの村だ」とか、そう言う声もしばしば聞かれるように、ベルベルの伝統や文化に対する意識は強い。
このベルベル語にはいろいろな種類があり、これらはベルベル語派として、アフロアジア語族という大語族のもとにまとめられている。アラビア語は、このアフロアジア語族のセム語派の言語だ。
紀元前のチュニジアの地に、やはりセム系の言語を話すフェニキア人の植民都市が建設された。これがかの有名なカルタゴだ。このカルタゴのハンニバルとローマ軍との戦争については日本でもよく知られている。というか、日本人がチュニジアについて知るのはだいたいこのカルタゴを通してだ。チュニス近辺には、このカルタゴの軍港の遺跡や、墓地跡なども残っていて、観光スポットとなっている。
カルタゴ滅亡後は、ローマの属州となり、これまた大いに繁栄した。ローマ時代の遺跡や、モザイクは現在でもチュニジアの重要な文化遺産の一つだ。古代キリスト教の最大の神学者の1人であるアウグスティヌスもこの時期のチュニジア(カルタゴ)にゆかりのある人物だ。
7世紀にイスラームが勃興し、北アフリカにアラブ人が侵攻してきた時、最初に建設した軍事拠点とモスクがチュニジアのカイラワーン(ケロワーン)だ。アラブ軍に立ち向かったベルベル人女王カーヒナの戦いとその最後は現在まで語り継がれている。(つづく)
