イスラム受容後のチュニジアは、地中海の交易の中心地の一つとして繁栄することになるが、11世紀に、もう一つの大きな事件が起きる。それは、バヌー・ヒラールなどの遊牧民集団の侵入だ。私は歴史についてはわからないので、この事件の背景や影響について言うことはできないが、言語の観点なら少しは言える。
7世紀にアラブ人がやってきた時、アラブ人は、北アフリカ最初のイスラーム拠点ケロワーンから、各地に都市を作り、広がっていった。そのため、チュニスも、アルジェリア・モロッコの古い都市も始めは似たようなアラビア語を話していたと考えられる。これらの方言は、都市方言(より正確には前ヒラール方言)と言われる。
しかし、11世紀に侵入してきた遊牧民集団は別のアラビア語の話し手であった。これはベドウィン方言というアラビア語の一種であった。このベドウィン方言と都市方言の対立がアラビア語方言の大きな特徴で、両者の違いをごく大まかにいうと、ベドウィン方言のほうがいろいろと古い特徴を残している。
さて、これらの遊牧民の侵入の結果、言語についていえば2つの変化が生じた。ひとつは、特にチュニジアで顕著だが、ベルベル人のアラブ化が進んだということだ。もうひとつは、遊牧民と都市住民との間で接触が生じた結果、都市方言がベドウィン方言の影響を受け、変質したことだ。
しかも、遊牧民集団は複数の部族から成り、そのベドウィン方言も単一ではなかった。そのため、各地の都市方言は、自分たちが接触した遊牧民部族の言語の影響を受けることとなり、もともとは似ていた北アフリカの都市方言はそれぞれ異なる特徴を帯びるにいたった。これが、北アフリカの諸都市の方言に違いがあることの、大きな原因の一つとされている。
チュニジアの方言についていえば、チュニジアはまさにリビア方言とアルジェリア方言の中間に位置づけられ、チュニジアの南部と北西部にはリビア全域に広がるバヌー・スライムという部族の方言の影響が、中部にはアルジェリア東部に広がるバヌー・ヒラールという部族の方言の影響が見られるという。
(つづく)
