ビデオは、騒がしい場所で撮影したこともあり、聞き取りにくいところもあった。またそもそもわからない言葉もたくさんあった。そこで、今年の2月にスーサを訪問する時は、このビデオのインタビューや語りについてシェドリーさんに解説してもらおうと考えていた。
2月21日に私はチュニスに着くと、シェドリーさんの友人のJさんにmessengerで連絡を取った。というのも、シェドリーさんはFacebookなどを使わないので。すると、Jさんからこんな返事が返ってきた。
「シェドリーさんは亡くなりました」
かくして、昨年の夏の映像記録はかけがえのないものとなったのであった。
私はスーサに着くと、そのビデオをコピーしてJさんに渡した。映像編集の仕事をしているJさんは、ビデオを編集して、フダーウィーのフェスティバルで上映してくれるとのことだった。
シェルギーさんのお墓に行きたいと思ったが、スーサの町から少し離れたところにあるというので、今回はやめにした。
さて、他にフダーウィーの活動をしている方に会いたかったが、Jさんによれば今はスーサにはいないとのこと。そこで彼が紹介してくれたのが、フェスティバルの運営に関わっているLさんというスーサ文化委員会の方だった。Lさんは忙しいなか時間を割いて、フェステバルについて話してくれた。フェスティバルは、例年5月に行われるが、今年は、4月末に開催する予定だという。
私はLさんにこう言ってみた。
「僕もフダーウィーとして参加できませんか」
ちょっと無謀な提案だったが、ありがたいことに快諾してくれた。フダーウィーのことを知りたいのなら、自分でやってみなくては、だ。語るのは日本の民話、そのチュニス方言版ということになった。そこで、今後の手はずなどを決めて、私はスーサを発ったのだった。
しかし、このコロナだ。4月にチュニジアどころではなくなった。
はなはだ精彩を欠く私の肩書にフダーウィーが加わるのはまだまだ先になるもようで、それまでは手洗い・うがい・換気に専念するほかあるまい。
(おしまい)
