Arakan, Burma, 難民, 入国管理局, 東京入国管理局

おもてなさぬの品川入管記(8)

 さて、後に、アラカン人(ラカイン人)の若者から、彼の出身地であるアラカン州(ラカイン州)について聞くことができた。それについて若干記して、終わりとしよう。

 まず、アラカン人について簡単に記すと、アラカン民族はビルマ民族とは異なる民族であり、かつては独自の王国を持っていたこともある。王国滅亡後はビルマ民族の支配下に入ったが、ビルマ独立後の連邦制でも不平等な地位を押し付けられていたため、民族の平等を求めて長い間、闘争を続けている。

 アラカン人の言語は、ビルマ語と近い。だからといって、非常に近いとは言えないようだ。私はこの点について彼に聞いたら、彼自身はビルマ語は学校で読み書きは習ったが、上手には話せないとのことだった。日本に来るにはヤンゴンにしばらく滞在する必要があるが、そこでも言葉の問題で苦労したようだった。

 また、彼はアラカン州でも州都シットウェではなく、ベンガル湾のラムリー島のチャウッピュー(Kyaukpyu)の出身で、そこの言葉は、シットウェの言葉ともまた少し違うそうだ。

 さて、このラムリー島について書かれたサイトを見ると、こんなふうに書かれている。

「第二次世界大戦中にイギリスと日本がラムリー島をめぐって争ったのは有名である。近年では、インド洋と中国を結ぶパイプラインと鉄道、深海港が設けられている」

 前者についてはいうまでもなく、我々は追い出された。後者は天然ガスのパイプラインで、その開発が環境破壊と人権侵害、資源の収奪の原因となっているとして、かねてから多くのアラカン民族が抗議している。ビルマ政府はこれら反対派からパイプラインを保護するためにビルマ軍を派遣しており、これがさらなる紛争と人権侵害を生み出している。

 中国との関係でいえば、ラムリー島は当然ながら漁業が主産業だが、中国船による乱獲によっても被害を受けているという。

 彼はまた、ラムリー島の隣にあるチェドバ島(マナウン島)と呼ばれる島についても教えてくれた。ここの住民の方言は、ラムリー島のアラカン語とはまた異なり、彼自身も理解するのに少々苦労するという。

 この島には、特筆すべきことが一つある。それは、美男美女の産地として有名であることだ。一名、美人島(min ma hla kyun)と呼ばれている。真偽の程は定かではないが、かつてポルトガル人が居住していたことに関係している、という説が唱えられている。

 私は美人にはまったく興味はないが、コロナが終わったらすぐ行くつもりだ。

アラカンの舞踊(2019年9月8日、新宿区で開かれたアラカン民族の式典で)