真実の記録

偏見

以前、難民関係の集いに参加したときの話だ。その集会に、1人の友人が私が転送した案内を見て来てくれた。難民について彼はあまりよく知らないようだったが、集会後に話すと、とても勉強になったと言ってくれた。

集会が終わると、有志で食事に行くことになった。私は、友人と参加することにした。6人ほどで飲み食いしていたのだが、その中に、自分はいろいろな難民に会ったことがあるという男がいた。そして、彼は私が難民関係の活動をしていることを知ると、妙に絡んできた。

「ひょっとしたら偏見かもしれないんですが、難民はずるいですよ」

「と、そうおっしゃるわけは」

「だって、勝手によその国にやってきて物を貰おうというんですから」

私は、そうとも限らず、多くの難民は自立しようと苦労していることや、そもそも好きこのんで国を離れたわけでないことを説明した。

だが、彼は納得しないようだった。

「ひょっとしたら偏見かもしれないんですが、偽装難民なんて連中もいるそうじゃないですか」

私は「偽装難民」というのはメディアが使用しているレッテルに過ぎず、必ずしも現状を適切に言いあらわしているとは言えない、と話し、「そういう言葉を使うことそのものが、偏見にもとづくものだと思いますよ」と言った。

すると彼は、嘲るような調子でこんなことを言い出すのだった。

「いえ、私は偏見などもってませんよ。本当に偏見をもっている人が、『ひょっとしたら偏見かもしれない』などという前置きをつけるわけがないじゃないですか。だから、私の言ったことは偏見でも何でもなく客観的事実なんです」

私が答えに窮していると、それまで黙っていた友人が「ひょっとしたら暴力かもしれないんですが」といって、そいつをぶちのめした。