Burma, 難民, 入国管理局, 収容, 大村入国管理センター

古いほうの収容ウイルス、長崎入管訪問(その14)

 私たちは入管を出た。玄関前で記念撮影。Kさんは、満面の笑みで、突き立てた親指を下向きにした。

 はじめは長崎駅に行こうと考えたが、バスがないので、歩いて長崎空港に行くことにした。1キロほどの箕島大橋を渡ればすぐだ。

 橋の脇に自衛隊の航空基地があり、私たちが橋を渡り始めると、すぐ近くからヘリコプターが飛び立った。Kさんは「毎日うるさいんだよ」と目で追う。

 彼は歩きながら、こう感慨深げに言った。「ほんと、奇跡だよ。大村入管から出るのは。強制送還の時か、病気になったときだけだから。奇跡だよ」 彼は仮放免許可が出た時からこの奇跡について考え続けていたのだ。

 赤いバスが空港へ走って行く。長崎駅と空港を結ぶバスだ。

 「あのバスも入管から見えるんだよ。飛んでいく飛行機も。みんなあれ見てさびしいになっちゃって。いつ出られるかって」

 私たちは、被収容者たちがいろいろな思いを抱えながら毎日のように見つめていた橋を歩いているのだ。

 入管の窓には黒いシールが貼られていて、内からも外からも見られないようになっている。

 「けど、誰かが、穴を開けちゃう。小さな穴から外を見る。すぐに黒いシール貼っちゃうけど、また、誰かが開けるから」

 私たち橋を渡りながら、振り返り振り返り入管の建物を確認した。Kさんは立ち止まっては、小さな入管の建物を背景に写真を撮ってくれという。途中、橋の反対側に小さな島が見えた時も、「これも入管から見えた」といいながら、島を後ろに写真を撮ってと頼んだ。

 橋の真ん中からは入管が一番よく見えた。もちろんそこでも私は彼と入管の写真を撮った。

 それまで、降ったり止んだり雨が、だんだん強くなってきた。傘をもたない私たちは無言で対岸を目指した。

 橋を渡り切るころには雨も止んだ。私たちは向こう岸に入管を探し、Kさんと写真を撮った。

 まるで入管と記念写真を撮っているみたいだ。そうやって、Kさんは、窓の小さな穴の向こう側で失われた2年間に形を与えようとしていたのだろう。

指の先の入管