年老い、もはや死を待つばかりとなった私は、最近、自分の人生について振り返ることが多くなった。
ああ、なんと多くの過ちに満ちていることであろうか。目を覆わんばかりの惨状だ。激しい悔悟に襲われた私は、思わずこう願ったのだ。
「もし人生をやりなおすことができたなら!」と。
だが、さらに自分の人生について検討を加えると、これらのおびただしい過ちのうちには、その原因を私に帰せるものもあれば、そうでないものもあるのに気がついた。
そして、そうでないもののうちにも、はっきりと他人の過ちによるものと、その他人の過ちとすら言えず、もはや運命としか呼びえないものもあることも、明瞭になってきた。
私の心に次第に疑念が形成されてきた。もしも、人生をやりなおすことができても、これらのもろもろの「因縁」を排除することなくしては、もとの木阿弥ではないか、と。
しかも、私はいかに過ちをあまた犯したとはいえ、そのうちには人倫にもとる大罪はひとつとしてないのである。なのに、なぜ私だけが、もう一度やりなおさねばならないのだろうか。
いや、やりなおすべきは私ではない、世界のほうではないか。この世界こそ、もう一度再創造されるべきなのだ……。
私はその旨メールにしたため、再創造の提案について「ご検討のほどよろしくお願い申し上げます」と世界に送信した。
かくして、世界は再創造され、今この瞬間に立ち戻った。だが、いっこうに、やりなおしたい気持ちが消えないのだ……。