真実の記録

瞳を閉じて

日本語教師になるための手段のひとつとして、日本語教師養成講座を受講するというものがあるが、私は以前その講座で文法の授業を担当したことがある。

日本語の「が」と「を」などの助詞と動詞について説明していて、私はその組合せの例として「〜を渡る」を取り上げた。

「『道を渡る』『海を渡る』の『〜を渡る』には、渡る前の出発点と、渡った後の着点が含まれている。『海を渡る』なら例えば出発点の日本から着点のアメリカにという移動が表わされている」

私がこんなことを言うと受講生からすぐさま質問がきた。

「じゃあ松任谷由実の『埠頭を渡る風』の風はどこからどこへと渡るのですか」

私はことばに詰まった。埠頭のこちらとあちら……とは?

当時の私は松任谷由実など聞かなかったのだが、その後すべての曲を愛聴するようになり、コンサートにまで行くにいたった。

なので、現在の私ならば、まず「瞳を閉じて」は「まぶたを閉じて」であるべきと問題提起し、ついで「昨晩お会いしましょう」の時制の誤用を糾弾する。さらに「恋人がサンタクロース」の「ガ格」に疑義を呈し、とどめとして「ルージュの伝言」は「ルージュという人が書いた伝言」と解釈される恐れがあるので、「ルージュによって書かれた伝言」に改めるべきだとまくし立て、松任谷由実の日本語の信頼性を動揺させて、その受講生を黙らせたことだろう。

(なお、「〜を渡る」で意識されているのは出発点や着点などではなく、経路であること、そして「瞳を閉じて」というのは「店を閉じる」と一緒で誤用でもなんでもないことを申し添えて、パソコンを閉じたい)。