真実の記録

未生の存在

ビルマ関係で知りあった日本人にNさんという人がいる。私からすると二〇以上年上だ。とある有名大学で哲学を専攻していて、修士課程を出たが、その先は進まなかったのだという。当時盛んだった学生運動のほうを選んだのだった。

彼が博士課程に進学しないという話を聞きつけた教授が家にやってきた。説得するためだ。だが、「エスタブリッシュメント」との闘争に対する彼の決意を翻すことはできなかった……この逸話が本当かどうかは私にはわからない。ただ、70歳に近い彼は何度もその話を私にした。彼にとっては今なお自慢のタネだったのだ。

彼は自分より立場の弱い人と見るや怒鳴りつけたり、恫喝したりするので、私はやがて彼に近寄らないようになった。だが、彼との同席を回避できないことがあった。彼は私が博士論文に取り組んでいるということを、誰かから聞いたもののようだった。私に顔を近づけるとこんなことを言ったのだった。

「俺は教授が強く望んだにもかかわらず博士論文を書かなかったが、あんたはそうじゃない。期待されたのに書かれなかった博士論文と、期待されもしないのに書かれた博士論文では、どちらが博士論文として価値が上だろうか」

私は回答を差し控えたが、もちろん期待されて書かれたほうに決まっている。