Facebookには、アカウントはまだあるが、メッセンジャー以外では、もう使わない。
なぜかというと、私が投稿しても誰も「いいね!」を押さないからだ。
もうひとつ理由がある。
私のFacebook上の友人はほとんどビルマ人なのだが、やけにナショナリスティックな投稿ばかり流れるようになって、見るのがいやになったのだ。私はビルマは好きだが、だからといって、ロヒンギャやイスラームに対する攻撃も好きなわけではない。
もっとも、Facebookはそうした安易なナショナリズムと親和性があるといわれていて、ビルマ人だけが悪いというわけではない。日本人だって相当なものだ。そもそも、Facebookは、あまり深く考えないでも、シェアすれば何か大したことをした気分になる。だから、横着者のナショナリストたちや陰謀論者たちにはうってつけなのだろう。
ところで、私はこれまで、ビルマ人の葬式に何度か参加してきた。日本文化とは異なるのは、多くのビルマ人がためらいなく遺体の写真を撮ることだ。それどころか、お棺の前で並んで写真を撮ったりしている。ピースでもしそうないきおいだ。そして、さらに理解しがたいのは、その遺体の写真をFacebookにあげることだ。何人もの参列者が写真をアップし、それをご親切にもシェアする人もいるので、フィードはご遺体の写真で溢れることになる。
だから、私はいつも思う。自分の葬式には、ビルマ人の参列者はお断りだ、と。私の遺体写真をFacebookで晒されたくはないのだ。
いや、ビルマ人からしたら「私のお墓の前で泣かないでください」と言われたときの気持ちと同じ気持ちであろう。つまり「そもそも私はあなたの墓の前なんか行きませんから!」というわけだ。だが、万が一ということもある。その万が一を考えて、私は棺の中から、丁重にお引き取り願うつもりだ。
しかし、写真ぐらいならまだいい。それもビルマの文化だ。だが、問題は、みんなこぞってその写真に「いいね!」を押す可能性があることだ! 中には連打するヤツもいるかもしれない。生前ひとつも「いいね!」をもらえなかったが、死んだら両手に抱え切れないほどの「いいね!」が……まあ、ちょっとした憂さ晴らしにはなるだろうが、これでは死んでも死に切れない。
そこでコロナだ。コロナで死ねば、そのままビニール袋に放り込まれて、誰にも見られることなく、焼いてもらえる。遺体写真など撮る隙もない。Facebookのフィードよりも早く灰になれるのだ。
上に述べたような懸念を抱いている私にとってはまさにうってつけの死に方ではないだろうか。
もうコロナになるのが待ちきれない。

2014年7月撮影