1週間後の3月26日に仮放免の手続きを行うということが決まった時点で、私は自分が長崎に行くということで準備を始めた。長崎の支援者に頼むのが一番よかったが、急なことなので、うまく調整できるかどうかわからなかった。多分、お願いしたら、何としてでもやってくれただろう。だが、それでも私は自分でいこうと決めた。
なぜなら、暇だったから。
コロナが、不要不急の塊のような我が人生から、あらゆる予定を蹴散らしてしまっていたのだ! おお、私はいかに要にして急なる出来事の到来を待ち望んでいたことか。まるで最後の審判を待ち望む死人のようにだ。というのも、死者たちにとっては、最後の裁きこそが要にして急、それ以外のあれやこれやは不要不急、その日が来るまで墓で自粛、というわけなのだ。
だが、もうひまに飽かして毎日つくる大根の煮物にはうんざりだ。ここで別種の栄養の補給があったっていいのでは? ちゃんぽんやカステーラ方面からの。
さあ、長崎へ、俺は墓から飛び出すのだ。
だが、問題は金だ。
私は保証金を集めてくれている彼の知人に思い切って連絡する。
「あの、旅費、半分ぐらい出してもらえますか」
「全部出しますよ!」
向こうの気が変わらないうちに、行きと帰りの飛行機をただちに予約だ。(つづく)
